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黒いチューリップ

Author:黒いチューリップ
猫好き、無駄好き、旅行好き。

石川県金沢市よりちょと北にあるかほく市在住。

最近やってるゲームはもっぱらFFXI。
意外と野球好きで、根っからの巨人ファン。
あと、軍事情報には何故か詳しい。
そして歳の割には何故かヤマトファン。

一応発達障害でもあったりします。

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十界

「こころ」についてでっかい勉強中なんですが、数日前から仏教の中に心の状態(境涯)を簡単に表す事が出来る教えがあることに気が付きました。


最初はその気が付いたときに記事にしようと思っていたんですが、まだ自分の中で解釈に困る部分がありましたので一時封印しておいたんですが、概ね理解完了しましたので、紹介します。

今後、この言葉を多用するかもしれませんので、どういう心の状態なのかという意味は、ここで説明しておきますね。

まず始めに書いておきますが、今回は仏教の教えを利用しているだけなので、宗教に関して言えばほぼ完全中立ですので、宗教に偏見を持たれている方は、その点をまず頭に入れておいてからお読み下さい。



人の境涯について、ほとんどの仏教系宗教では、六道というものを教えているんですが、今回は、ごく一部の高等な(?)仏教系宗教で教えられている十界というものを取り扱います。


十界というのは、人の境涯を10に分けて表しています。
挙げていきますと、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界、以上です。

六道になりますと、その内最初からの6つしか教えていません。
地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道までです。

これからそれらについて紹介していきますが、解釈の中に、

どこかの道を歩いていると、その道端に10万円が落ちているのに気が付いて、それを拾ってみた人

を例に解説していきますね。

(この時点で、「あ、こいつ、うちんところの本を使っているな」と分かる宗教団体の方がいるかもしれませんが、多分それで正解だと思います。/笑
もし著作権に引っ掛かりそうな場合は指摘をよろしくお願いします)



一:地獄界

文字通り地獄的な何かの境涯です。六道で言うところの地獄道に相当。
本来地獄というのは、死んだ後に、生前の行いの善し悪しについて秤をかけられ、悪が強いと判断されたら落ちていくという、生きている間には絶対にお目にかかれないところのはずですが、そこにいるときと同じ苦しみを、生きている間に受けるという心の状態です。

その境涯の人が10万円を拾っても、深く悩んでいる状態のために、その瞬間には札束を拾ったのか、くず紙の束を拾ったのか分からない状態で、もしかしたら捨てちゃうかもしれません。
そんな状態ですので、それを手にしていても何の力も湧いてきません。
それどころか、なんで拾ってしまったのかということにさえ苦悩を深めてしまいます。


普通そのような人がいるとは考えられないかもしれませんが、子供が病気で死にそうな状態にいることに深く苦悩している親御さんが、例として挙げられます。
他には、重いうつ病の方に関してもこの状態にあるのではないかと思いますし、ひどいいじめに遭って深く傷つき、いじめられた原因を自分のせいだと思って自殺を考えている、そのような子達にも当てはまると思います。

このような状態にいる人は、なんとしてもこの状態から抜け出させてあげないといけませんよね。
難しいことではあるんですが、どうにかしてプラスの感情を持てるようにする必要がありますよね。


二:餓鬼界

餓鬼って分かりますよね?餓えた鬼。六道の餓鬼道に相当。
金銭欲や物欲、食欲などの、物を欲しいという気持ちが強い上に、実際に手に入れたとしても満足できずに飢えと渇きに苦しみ、新たな物をなお欲しがる、という心の状態を指します。

こういう境涯の人が10万円を拾ったら、当然の事ながら嬉しさのあまりに何もかも忘れて、夢中になって喜ぶでしょう。
その後は、落としてはならないと、その10万円をしっかり握り締めます。
そして、交番を届けるにしても良心からではなく、1割の謝礼金を考えるでしょうし、早く半年経って全額もらえないか、とも思うでしょう。


コレクターって人がこの境涯に当てはまりますよね。
金の亡者っていう人も同じ。
お金が欲しくて欲しくて仕方がない、と思っている状態もこれに当てはまりますね。
他には、コミケなんかで徹夜して並ぶ人間は、ごく一部を除いた全員が餓鬼界の連中です。
徹夜行為は迷惑だと分かっているのかいないのかは分かりませんが、それを気にもしないで欲しい同人誌とかグッズを手に入れようとしているんですから、間違いない。

子供のことを「ガキ」という人がいますけど、子供ってよほど凄まじいしつけをしていないと、何でもかんでも欲しい欲しいって言いますよね。
そういったところからそう呼ばれるようになったのかもしれません。



三:畜生界

畜生ってよく言葉で使いませんか?
でも、その畜生って言葉の本当の意味、分かりますか?

そうです、動物ですね。
人間以外の動物のことを指します。
要するにその動物と似たような心の状態です。六道でいうところの畜生道に相当。

野生動物を連想してもらうといいかも。
その境涯の人が10万円を拾うと、拾った姿を人に見られたくないと思うでしょう。
その時に生まれる力というのは、野良犬が隠れて食べ物を食べるときのような力が生まれる……、そうなんですが、どんな力のこと?(汗)
こそこそっと気付かれないようにしようとする事だと思いますが…。
そして、その10万円を我が物にしようとする意図が満ち満ちて、そのまま交番に届けようともせず懐に入れて逃走を図ります。
この人は、拾ったときから逃走を図るまで、その10万円にだけ執着しきっている状態と言えます。


一番いい例が泥棒さんだね。まんまその通りだし。
他には万引きをする人。これもそのまんまだし。
あとはとある人の、悪い噂話をその人に分からない場所でこそこそ話をする連中。こいつらも畜生界です。
私が今まで見る限り、2chに書き込む人間に多く見受けられます。


四:修羅界

これも聞いたことがある言葉ですね。
修羅の道を征く!とか?

修羅を正確に言うと阿修羅とも言います。
仏教だと『仏法を守護する天竜八部衆の一』というよく分かんない存在なんですが、インドだとなんかの神様と戦う悪魔、鬼神、悪神とされています。
何に対してもむかむかっとして怒りだす心の状態です。
六道では修羅道とか阿修羅道って言います。

こんな人は私もいないと思うんですが、一応例としてあげますね。
10万円を拾います。すると、なぜかその事に腹を立てて、その10万円をいきなり地面に向けて思いっ切り投げつけます。
そして、むかむかしながらその場を去ります。
以上。(汗)
こちらは拾った後に地面に投げつけてぷりぷりしながら去って行くまで、一貫して怒っています。


怒りっぽい人は、例外なくこの境涯です。
良かれと思っていい事をしたつもりでも、「余計なお世話だっ!」と逆ギレする人もこれに当てはまるでしょうね。
最近の若者もその境涯の人が多そうです。


五:人界


早く人間になりたい!

ようかいにぃ~んげん♪

………ようやく人ですよ。

これは表現するのも楽ですね。
人間の境涯です。以上。



………ごめんなさい、続けます。
六道の人道に相当します。

この境涯の人が10万円を拾えば、常識に沿って交番に届けるのが当然!と思うでしょうね。
そして、その落ちていた10万円を持っている事に対する責任感を持ちます。そして、交番に届けます。
1割の謝礼金とか、半年後に自分の物になるということは、警察官の人に言われて初めて気が付くか、届けた後になって「あ~、そういえばそういった制度もあったかな」と気付いたり、場合によってはその事に気が付かないかもしれません。


人間なんだから全ての人がこの境涯にある。
………と言えないのが最近の世の中。
例えにくいな………。
列車の座席に座っているときにお年寄りが立っていたら、座席を譲る人。
車内禁煙の列車の中でタバコを吸っている奴がいたら注意する人。
等々、人としての常識に沿って行動する人がこの境涯にあると言えます。

下の記事にも書いてしまってますが、時々人間じゃない発言をしていますが、これは心が人間じゃない、ということを指しています。
そんな人間じゃない人達が起こす事件も最近は多いじゃないですか。
いじめをする奴も結局はこの部類が多いんですよ。


六:天界


『人間界の上にあり、最上の果報を受ける者が住む清浄な世界』
いわゆる極楽浄土とか天国と言われるところにいるとこの境涯でいられるんですが、生きたまま天国にいる嬉しい・楽しいと思える心の状態で、六道では1番上の天道に当たります。
地獄界と天界は、対照関係にあるとも言えるのではないでしょうか。

天界状態の人が10万円を拾ったら、利害を全く考えずにその事自体を楽しく、愉快に思ってしまいます。
そして、拾った本人も愉快に思うなら、落とした人も面白いと言ってしまうような人なので、10万円自体はお金というよりいいおもちゃ、というくらいにしか捉えていません。
このような人は、拾った時点から愉快で面白い・楽しいとしか思いません。

この人はその10万円をどうするのかな?
とりあえず持って帰って「こんな楽しいことがあったんだよ~♪」って嬉々としていそうです。
恐らくこの時点でも10万円を落とした人のことを面白いとしか思っていなく、10万円自体、お金と意識していません。
で、その他の人がその事実に気が付いて、10万円が落ちていた場所や時間などの状況を聞き出して交番に慌てて届けに行く光景が目に浮かびますが、当人は慌てて届けに行った人も面白いな~、とか楽しんでる~、とか思っているんでしょうね。

(愉快だと楽しんでいる人からその状況を聞き出すのは困難、というより不可能に近いと思いますが…)

楽天主義の人がこれに当たり、楽観的な人もこれに当たるものと思います。
何でも笑い飛ばすようなおばちゃんとかもこんな感じ。
こう考えると、この境涯になりたいと思うかもしれません。
私も最初はそう思っていました。面白おかしく過ごせるならそれに越したことはないと。

でも、私が書いた例えをよ~く読んでみて下さい。
「落とした人も面白いと言ってしまう」
「当人は慌てて届けに行った人も面白いなと思っている」
困っている人に対しても、迷惑をかけた人に対しても愉快愉快と思っているわけです。

こんな人に心当たりはありませんか?
ネットの世界で言う荒らし、現実世界で言う放火魔などなど、俗に言う愉快犯と呼ばれる連中もこの境涯なのではないかと。
どちらにしても、犯人が騒ぎを起こして、それに困ったり慌てたりする人や状況を楽しむということに変わりはありません。
荒らしの場合は、騒ぎを起こしてもその掲示板の管理人や書き込む人が完全無視をしてしまうと、面白くないと思って去ってしまいます。

こういうことから、この境涯でいることはいいと言えばいいんですが、この境涯はこういった犯罪を引き起こす可能性もあるということが言えるのではないでしょうか?
この解釈に関しては、賛否両論がありますので、要検討ですが…。




七:声聞界

声聞の境涯です。声聞というのは、とりあえず仏の弟子ですね。
学者階級と言った方が分かりやすいかも。

これに関しては現在の所、次に紹介する縁覚界と一緒にされることが多いため、次の「縁覚界」にて紹介します。


なお、声聞や縁覚は、大乗教で六道を教えているところでは小乗教の方に当たるとみなされているため、教えには入っておりません。

小乗教とは、少ない人しか乗れない(救えない)教えのことを指し、倶舎教、成実宗、律宗など、阿含の四経をよりどころとする宗教が挙げられます。
対する大乗教とは、たくさんの人が一度にどかっと乗っかれる(救える)教えを指します。
念仏宗、真言宗、禅宗、華厳宗、三論宗、法華経を説く(ほけきょう、ウズイスじゃないよ?)宗教などが挙げられます。
少ない人しか救えない教えよりは、より多くの人を救える教えの方が良いに決まってますので、大乗教の方が、小乗教より優れている、とされています。

そして、六道は法華経を説く宗教を除いた大乗教で教えられているもので、法華経を説く宗教では、今私が取り上げている十界が教えられています。


八:縁覚界

縁覚の境涯です。縁覚とは、
『仏の教えによらず、ひとりで悟りをひらき、それを他人に説こうとしない聖者。』
まあ、一芸に秀でた人々と言った方が分かりやすいかな、と。

声聞と縁覚は、ひっくるめて二乗と言われています。
では、この2つの境涯をひっくるめて例えてみますね。

この境涯の人が10万円を拾っても不愉快な物、厄介物扱いをします。
これは、自分さえ幸せならそれでいいと思っていて、他人の事なんてアリの触角の先っちょほども考えません。
よって、関わり合ってはならない、面倒事はごめん被ると考えて、10万円を捨てて(もしくはそっと置き直して)逃げてしまいます。
俺1人が良ければそれでいいんだ!という個人主義的な状態なので、10万円を拾ったことは、女性がゴッキーとかゲジゲジに遭遇したときの気分のように捉えているのではないか、と。
このように、最初から最後まで終始個人主義的状態にいます。
…自分さえよければいいのであれば、そのままピッと持ってっちゃうのではないかとも思いますが、その結果面倒なことに巻き込まれると思うと、関わらない方がいいという判断をするかもしれませんね。


多分自分勝手、自己中心的って言われる人が当てはまりそうですが、これに関しては餓鬼界や畜生界、修羅界の人にとっても言えることではないかと思います。

例えば東京の路上で、2人組の男共が可愛い女の子を捕まえてナンパをしていると。
常識ではこれを止めに入るというのが基本中の基本、ということは言うまでもありませんね?
でも、最近ではほとんどの人が止めに入ろうとしません。
その2人組の男共に喧嘩を売られて痛い目を見るのが嫌だから、面倒事には巻き込まれたくない、他人のことだから知~らない、という感じで見て見ぬ振りをするのが、間違いなくこの境涯の人。
教室でいじめが起きているのに、自分もいじめられたくないからと、先生に言いに行くこともなく、見て見ぬ振りをするのも同じです。
挙げ句の果てにはホームから線路に人が落ちたのを見ても何も行動を起こさない人。
これは自分の命がかかってますからやむを得ないかもしれませんが、首都圏の駅とかには非常用ボタンがホームの至る所に設置してあるんですよね?
それを押しに行くだけでもいいのに…。
まだ列車が来ないようならば早いところ線路に降りてホームに押し上げるなり、ホームの下にある空間や、線路脇まで引きずり込んで退避させるなり、方法もあるでしょうし。
境涯としては良くないです。


九:菩薩界

菩薩の境涯です。(それしか書けんのか)
菩薩というのは、仏の次の位に当たります。
菩薩=仏、神となりがちですが、菩薩も修行の身です。
衆生(民衆、市民?)を救うために多くの修行を重ねた存在です。
その境涯になるということは、人のために何かしようとする慈悲や慈愛の心を持ち合わせている心の状態である、ということです。

そんな人が10万円を拾うと、落とした人が可哀想だと思い、困っているだろうと案じてしまいます。
そして、一刻も早くその落とし主に届けたいという気持ちでいっぱいになり、届けようとする力が湧き出てきます。
その後は、交番に届けるより前に、辺りを見回して困っていそうな人がいないか探し出し始めるでしょう。
そして、見つけた人みんなに対して「何か落とし物をされてませんか?」と聞いてまわるに間違いない。
(恥ずかしながらやった覚えがかなりあるし………。)
そして、落とし主が現れないかしばらくその場に留まって探し続けます。
待てど暮らせど現れなかったときに初めて交番に届けます。

その後もいかにも菩薩っぽいです。
もしその場に留まっているときに落とし主が現れたら、落とし主に返してようやく安心します。
返してしまえばその人はもう満足なんです。
ですので、その落とし主がお礼として1万円を差し上げると申し出ても、申し訳ないからと辞退してしまいます。
しかし、そういった申し出を断るのも申し訳ないと思ってしまうわけですね。
堂々巡りはその人に迷惑がかかるということや、断ることは相手の感謝の気持ちを断ることだという理由からです。
ですので、数回申し出てきた場合は、「それでは…、謹んでいただきます。」と言って申し出を受けます。
交番に届けた後に落とし主が現れても同じ現象が起きてしまいがちです。
ただ、こちらは法律で決まっているということもありますので、そのまま拝受する可能性があります。
問題は落とし主が現れなかった場合。
そうすると全額もらえる事になるみたいなんですが、やっぱり落とし主の方に申し訳ないと思って辞退してしまいそうです。
もし辞退できないということであれば、やむなく受け取るでしょうね。
辞退できるのだったら、迷わず辞退をするか、辞退した場合どういう使い道をされるのか聞いてみて、国庫に戻るなど、人のためにあまりならないと思ったら受け取った後に募金してしまったり、せめて他の人におごるなどして他人のために使おうとするでしょう。
これは、1割の謝礼金でも同じ事が言えます。
こういった人の行動は、拾ってから届けるまですべからく思いやり深い状態にあります。


こんな人がどこにいるかなぁ?(汗)
とりあえず知る限りでは、知り合いのおばあちゃんに多いです。
よくお駄賃くれるし…。
子供の頃は何となくもらっていたんですけど、大人になると申し訳ないと思って断っちゃうんですけど、その時のおばあちゃんすごいですよ?
私の手を引っ張っていって手の平を開かせて無理矢理お金を握らせるという実力行使に打って出ますからね。
そんな事されたら断れないですよ…、ずるいなぁ。

他にもいるとは思うんですけど何故か思い出せません。
自分でやる分には記憶に残ってますので気が付きやすいんですけど、他の人がそういう行動を取っているというのは案外目に見えにくいものなんですよ。
どこかの公園で、何かを片手に人探しをしていそうな人がいたらそうかもしれませんけど、単に待ち合わせをしているだけかもしれませんし、他人から他人だと、とにかく気が付きにくいものなんですよ。
自分から他人とか、他人から自分へは気が付くんですけどね。

ここまで書くと菩薩界っていい境涯だとしか思えないって言われる人がいると思うんですが、一概にそうとも言い切れないんですよ。
慈悲深いということは見返りを端っから求めてはいないんですよね。
精神的に安心できるという見返りはきますけど。

しかし、違う人から見ると損な役回りだと思うかもしれません。
特に物質的な豊かさが重要視される今の世の中では、むしろそう思う人の方が多いんじゃないかと思います。

もっとも、私自身がそういう状態だと、損だとは全く思わないんですが。
精神的に豊かになっていくことですし。


十:仏界

究極の境涯です。
仏の境涯になれるということですが、世間一般ではその事を次の漢字2文字で言い表します。










成仏





と。





よく人が亡くなることを成仏したと言いますが、単に死んだということを表すならばそれで合っている(警察の刑事が殺人事件にあって亡くなった人のことを仏、とか仏さんとか言っているのは死んだ人のことを指しているんですね)んですが、神様仏様の仏に成るという意味では、残念ながらほとんどの場合間違っています。


この十界の教えでは、生きながら成仏できちゃうということを教えています。
生きながら成仏するということは、手っ取り早い話絶対的幸福境涯をつかむ事とも言えます。


残念ながら私の場合、先に挙げた9つの境涯になったことはありますが、この境涯には未だに達していません。

自分の事を見つめ直すぞー!!って言っている時点で分かることです。


よって具体的にこういう境涯だと説明するのは難しいものがあり、10万円を拾った人を例に例えることもできません。

でも、この境涯に達している人は1人心当たりがいます。
ただ、名前を挙げるわけにもいきませんので伏せておきます。


この十界という教えの後には、十界の中にさらに十界があるという十界互具という教えがあり、その百界それぞれにその境涯がその人の体や心に現れるという十如是という教えがあり、それに三世間という教えが加わって、一念三千という、普通の人からするとでっかいむつかし~教えになります。
(なんで三千か?10×10×10×3はいくつですか?)

この境涯は一定の物ではなく、その瞬間瞬間においてコロコロと変わっていくものです。
ただ、人それぞれこの境涯になりやすいといったものがありますので、怒りっぽい人だなあと思う人はよく修羅界になり、思いやりのある人だなあという人はよく菩薩界になり、あれだけいっぱい物を持っているのにまだ足りないのか?という人は餓鬼界になりやすいと言えます。

仏教の教えから引っ張ってきたものではありますけど、実際例に当てはめてみると「なるほど~」って思いませんか?

私がなるほど~って思いましたので記事にしてみたまでです。


他の宗教でも、理にかなっている教えというのはあると言えばありますよね。
キリスト教の「自殺は大罪である」っていうの。
何で大罪なのかという中身は全く知りませんが、理屈としては合っていると思いますよね。
(ちなみにこの教えはNHKの「その時歴史が動いた」で知ったものです)

理屈が合っていると思えば、それが正しいと思うのが論理的考え方。
理屈は合っていても、宗教だからな~、と偏見の目で見て否定するのは非論理的考え方で、間違っています。

今回私がたまたま仏教に関する知識がそれなりにあって、仏教に関する資料も手元にあるからこういう記事が書けますけど、もし違う宗教の方に知識があれば、そちらから例えを持ってくるかもしれません。

心理学について勉強中なので、そこから例えを持ってこられるならそれに越したことはないですけど、まだ心理学の「し」の字をかじり始めたばかりの私にそれは無理。


宗教からであろうと無かろうと、理屈に合うと思えば、色眼鏡で見ることなく取り入れていくことが人間であると思いますので、この記事も偏見を持たずに読んでもらえることを願います。



あ、最後にきちんと書いておきますね。
私はお坊さんなどではでっかいありません。
普通の家に普通に住んでいるただの目立たない普通な(?)一般人です。

髪の毛も長い言われるくらい生えてますし。





蛇足としまして、私がどんな境涯になりやすいのか、なったことがあるのか、ちょっとお話。


まず、普段書いている記事を読んでいる方からすると「えっ?」と思う人も多いかもしれませんが、かなり前からつい最近まで私はこの修羅界の境涯になりやすかった状態でした。
今は、沈静化しています。(苦笑)
一部の人は気が付いていると思うんですが、いじめを苦に自殺した子が出た、ということについて過敏に反応して記事を書いていますが、怒りっぽいことと、私自身いじめられっ子で、いじめに対する強い嫌悪感を抱いているからこういう記事を書いたりするんですね。


普段の私は、外に出るとほぼ人界状態です。
特に旅行先ではそうです。
満員状態の列車の中でお年寄りが立っていると席を譲ります。
同じ外でも車の中では半分家にいるような感じなので、運転マナーの悪い車が割り込んできたらうがーっ!って怒ります。(=修羅界)
同じ運転マナーが悪い車でも、後ろに付いてきて車間距離を1m未満まで詰めてくるようなドライバーに対しては、わざと減速(制限速度ちょうどに)して走って「抜かせるものなら抜かしてみろ~!」という風にいじわるして
状況を楽しむ天界な自分もいますし。

家の中とかだと、

……………ずぼら?

猫と遊んでいるときは天界ですし、痛ましいニュースが飛び込んでくると修羅界とか人界とか菩薩界になります。
ゲームをしている状態は…声聞界か縁覚界だと。
ネットオークションで落とそうと躍起になっているときは餓鬼界。
ブログで「だ・う~ん」とか書いてひどく落ち込んでいるときは地獄界。
畜生界もあるけど………、ひ・み・つ☆(自分で書いててなんですがいわゆる一つの「きもい」。/汗)

ただ、猫と遊んでいるときは天界であっても、気分が沈んでて横になっているときに顔を踏んづけられると、仮に相手が猫であろうとも修羅界に突入ですよ。人が変わったように完全に激怒しますからね~。

今は、出来ることなら常にこの人界か菩薩界のどちらかでありたいと思います。

ただ、落とし物を見つけたり、いつ踏み潰されるか分かったものじゃない虫とかを見ると、たちまち菩薩界に突入してしまう自分がいます。
本文にもちょこっと書いてますけど、落とし物を見つけると、もはや本能的に持ち主に返さないと、という事が浮かんで来るんですよね。
その落とし物が重要そうであればあるほど。
そうなると連れがいてもちょっと待ってもらって持ち主を探したり、虫を安全そうな場所まで退避させたりしてしまいます。
いくら虫だといっても、害虫じゃないんだから、見殺しにするには忍びないというか可哀想というか…。
スズメの雛でも巣から落ちていると何とかしたいとしか思いませんから。
例え、その後ちゃんと親スズメが連れていってくれるとしても…。


非日常の事が起こると、人界、天界、菩薩界になる傾向があります。
台風が発生したり、大地震が起こったり、浸水被害に巻き込まれた兄を救出に向かったり、北朝鮮がミサイルを撃ったり、核実験を行ったり、あげくには、大雪で家に帰れなくなりそうになったり、自分がその非日常に巻き込まれた時であっても、そういった時にこういう状態になるっぽいです。

ただし、台風にしても、地震にしても、大雪にしても、楽しいと思う一方で、そんな自分が許せないという嫌悪感を抱く自分と、それらによって死傷者や被害が出ないことを心配する自分がいます。
どの心が一番強いのか、自分ではまだよく分かりません。
楽しいと思う気持ちが強いのなら天界であり、嫌悪感が強いのであれば人界、心配する慈悲の心が強ければ菩薩界となります。

自分が巻き込まれたら、他の人に対しても色々思うところはあるんですけど、ひとまずその状況を楽しみだします。
途方に暮れているよりはその方がいいですしね。
たま~にガソリン代が~!とか時間が~!とかお金が~!とかイベントが~!といった邪念も浮かびますけどね。(笑)

…このように人の心っていうのは複雑なんですよ。


この十界で今の自分を照らし合わせてみると、人界の状態が一番多いようで、次に菩薩界、その次が修羅界と天界がほぼ同じくらい。
餓鬼界がその後に続いて地獄界が第6位。
声聞界、縁覚界が割合低くて、畜生界には一番なりにくいという風に思います。

ただし、実際はこの通りなのかは分かりませんよ?
だって、まだ自分を見つめ直すということが終わっていないから。
自分のことを分かっていない部分が多いんですから、当たり前の話です。



ですから、自分探しはこれからも変わらず続けますよ~!



2006-11-13(Mon) 06:32| こころ| トラックバック 0| コメント 0

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