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FINAL FANTASY XI

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黒いチューリップ

Author:黒いチューリップ
猫好き、無駄好き、旅行好き。

石川県金沢市よりちょと北にあるかほく市在住。

最近やってるゲームはもっぱらFFXI。
意外と野球好きで、根っからの巨人ファン。
あと、軍事情報には何故か詳しい。
そして歳の割には何故かヤマトファン。

一応発達障害でもあったりします。

たいへいようせんそう

8月は何やら忙しなく終わってしまいましたので、このテーマには触れることが出来ませんでした。

我々若者にとってのあの戦争は何だったのか。
終戦から61年も経っている以上、我々にとっては直接関係のない出来事。
強いて言えば両親がその時代に生まれていたり、祖父母が戦争に関わり、祖父は戦場で兵士として戦い、祖母は内地で銃後の守りについていたなど、間接的には関係があるかもしれません。
でも、大多数の人は戦争自体には関わっていませんし、徴兵を受けて実際に戦場で戦った人も、内地で軍需生産を行った人も、ほとんどは当時の政府によって半ばやらされたようなものです。
当時は「お国の為」という言葉が国民の大多数に染み込んでいたため、疑問に思う人が少なかった。
これも政府の為。

都合のいいことばかり国民に知らせて、都合の悪いことは知らせない。

日露戦争では、日本海海戦でこそ世界史に名を残すワンサイドゲームで、損害は極めて軽微の大勝利で終わるという、海軍すら予想だにしていなかった結果になりましたが、陸軍は勝利とは程遠く、辛うじて戦線を維持していたものの、ロシア軍がもし反撃していれば戦線は崩壊、最悪大陸から追い出されていたかもしれない状況だったのを、ロシアの方もお尻に火がついていた状態だったから、引き分けに近い勝利を勝ち取ることが出来たのです。
しかし、国民は政府の発表を鵜呑みにして大国ロシアに大勝利したと思い込み、軍(特に一番ヤバかったはずの陸軍)自体も変質していくことになります。

満州事変がきっかけで国際連盟を脱退し、日中戦争で中国に対して侵略戦争を始めると、アメリカとの関係がさらに悪化。
どちらもきっかけは日本陸軍の独断先行が起こした事件がきっかけでした。

アメリカとの関係は、アメリカも、中国での権益を獲得したいが為、日本が邪魔だったというわけです。
それと、満州ならまだしも(一応日露戦争の条約で日本の権益が認められていた)中国に対してまで戦争を仕掛けたのは、日本に非があるのは明らかでした。

ただ、日本が自国の国益しか考えていなかったのと同様、アメリカも自国の国益しか考えていなかったのです。

中国での権益が欲しがったのもあります。

しかし、時代は既に第2次世界大戦に入り、ヨーロッパではナチスドイツがフランスを占領、イギリスもドイツ海軍のUボートによる通商破壊作戦により危険な状況でした。
アメリカの当時の姿勢は、モンロー主義という、いわゆる孤立政策を取っていたため、中立が基本で、国民も戦争は望んでいませんでした。

しかし、盟友イギリスが苦境に立たされていたため、武器貸与法を成立させるなど、時の大統領F.D.ルーズベルトは「参戦」以外のあらゆる手段でイギリスなどの連合国に加担していました。

万が一イギリスなどの連合国が敗れ、ヨーロッパがドイツの手中に収まってしまうと、アメリカの脅威になりうるから。

そこで目を付けたのが日本。
当時の日本は、ドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいました。
その条文には、同盟を組んだ1カ国が、ある国に宣戦布告をすると、他の2カ国も自動的に参戦するという条項がありました。
日本がアメリカに宣戦布告すれば、ドイツやイタリアもアメリカに対して宣戦布告をしないといけない訳で、国民に対する大義名分が出来るというわけです。

逆に言うと、アメリカは自国からは宣戦することが出来なかったのです。
アメリカは国民あっての国で、世論には逆らえない国だから。

かくして日本に対する圧力を強めていきます。
理由は中国に対する侵略行為と、仏印(現在のベトナム、当時はフランスの植民地でフランス領インドシナの略)に対する進駐で、具体的な圧力は屑鉄や原油の輸出禁止と日本の在米資産の凍結など。

当時の日本の製鉄技術では、鉄鋼石から良質な鉄を取り出すことが難しく、アメリカから輸入する屑鉄がないと良質な鉄を生産できませんでした。

また、原油に関してはそのほとんどをアメリカからの輸入に頼っており、それを断たれるのは日本にとっては「死ね」と言われることと同じことでした。
仏印でも石油は産出出来たのですが、アメリカからの輸入量と比べれば微々たるもの。
石油が尽きてなくなってしまえば、日本が唯一アメリカに脅威を与えている海軍も力を失います。
戦闘艦は全からく、油が無いとただの浮かぶ鉄の箱。
戦闘力を維持するためには訓練のための燃料も不可欠。
航空機もガソリンがなければただの飾りですからね。

何より国民生活にも石油を振り分けなければなりません。

そうやって追い詰められた日本は、現状を打開するため外交交渉を始めます。
日本がアメリカとまともに戦っても勝てる相手ではありません。
日露戦争に勝ったということで「米英恐れるに足らず」という全く現実を見据えていない輩も多かったものの、物事を普通に理解できる人達、何より昭和天皇が戦争を望んでいなかったのですから。

交渉自体は概ね穏当に進み、天皇やルーズベルトが親書を送ったりしたほど。

しかし、交渉の裏では日本の宣戦布告に向けた準備に入っていました。

既にあった正規空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」に加えて、完成したばかりの新鋭大型空母「翔鶴」「瑞鶴」を合わせた空母6隻を使った史上初の機動部隊による航空機の集中運用によるアメリカ太平洋艦隊の拠点、真珠湾への奇襲攻撃作戦。

発案した山本五十六連合艦隊司令長官は、アメリカと日本の国力の差が極めて大きく、まともに戦っても勝てる相手ではないと知っていたが故に、このような博打とも思える作戦を立案し、短期決戦を狙います。

「海軍は、1年半なら思い切り暴れてごらんにみせましょう。
ただし、その後については責任を持てません。」と。

これから分かるように、国力に劣る日本が取るべき戦略は短期決戦でしか勝てる見込みはないと判断していたのです。

かくして、鹿児島湾で空母艦載機、特に97式艦上攻撃機隊の雷撃訓練が、搭乗員に作戦の趣旨を知らされないまま始まります。
鹿児島湾が訓練の場所として選ばれたのは、その地形が真珠湾に似ていたからに他なりません。

真珠湾の水深は浅く、従来の雷撃方法では魚雷が深く沈み込んで海底に突き刺さってしまうため、まずあまり沈み込まない浅深度魚雷が必要であること、また艦攻も高度わずか20mでの超低空飛行で魚雷を投下することの2点が絶対条件のため、鹿児島湾での訓練は色々なエピソードが残っています。

基地を発進した艦攻隊は、今もある山形屋デパート上空を通過した後桜島に機首を向け、海岸からわずか480m先にある目標に対して訓練用魚雷を投下するというもの。
本来ならこの訓練は搭乗員に教えられていた安全規則を全く無視しているもので、危険極まりないものでしたが、血のにじむような訓練でその雷撃法を会得していきます。
市民も最初は洗濯物をかっさらわれたりと迷惑に思っていましたが、その内航空隊のサーカスと呼んで親しむようになったとか。

もう一方の浅深度魚雷はベニヤ板で作った安定板を付けるという割と簡単な工作で出来ましたが、数があるため生産に時間がかかり、最後に出港した「加賀」に搭載されて艦隊が集結する択捉島単冠湾まで運ばれました。
そういった背景で開戦準備は整います。

一方の外交交渉は難航しつつも何とかなりそうという希望を持って続けていましたが、1941年11月26日、国務長官ハルから渡された文書「ハル・ノート」により外交交渉は決裂します。
それは今までの交渉成果を全く無視した一方的なもので、日本にとって受け入れる内容ではなく、事実上の最後通牒でした。
それを受けた日本は、アメリカの戦争への強い意志を読み取り、真珠湾攻撃を口火として宣戦布告することになります。

そういった点を見ると、太平洋戦争は侵略戦争だったとは一概に言い切れず、防衛戦争という一面も持っていました。

国にとって必要不可欠な石油を確保するためにフィリピンとマレー半島を制圧してシーレーンを確保した上で、蘭印(オランダ領インドネシアの略)の石油資源を確保。
その後インドのイギリス軍の圧力を無くし、アメリカの継戦意志を失わせるためにオーストラリアを分断させる作戦などを行い、米海軍の空母部隊を仕留めるべくミッドウェー攻略作戦を実行します。しかし、結果的には逆に虎の子の正規空母4隻を失い敗北、当初の目的だった短期決戦は不可能となり、日本は戦争に敗れます。

勝てば官軍、と言うとおり戦争責任は日本にだけ押し付けられます。

確かに日本にはかなりの戦争責任があります。
中国への侵攻、朝鮮、台湾で行われた「日本化」、占領地での圧政等々、挙げればキリがありません。

しかし、アメリカにも戦争責任はあるのではないか?

大きなものを挙げれば、B-29による民間人を巻き込んだ無差別爆撃。
しかもただの爆撃ではなく、木造家屋が多く火災に弱いことを関東大震災で知っていた上で、明らかに民間人を狙いを定め使用した焼夷弾で焼き払うという行為を行いました。
そして2発の原爆。

どちらも早期に日本を降伏させるためという言い訳をしていますが、国際法に違反しているのは明らか。

また、結果論ではありますが、日本に降伏を決意させたのは、無差別爆撃でも原爆でもなく、ソ連参戦でした。
日本は不可侵条約を結んでいたソ連を仲介しての終戦工作を考えていたため、ソ連の参戦は衝撃が大きく、ポツダム宣言を受諾し降伏したのです。

無論、条約を破って参戦したソ連にも非があります。
また、満州侵攻の際に満蒙開拓団へ行った行為や、シベリア抑留など、これらも戦争責任を問える行為です。

当時の日本が間違っていたのは明らかな事実ですが、今の日本が一部の中国人が思い込んでいるような軍国主義へ逆行することは絶対にありません。
日本がどれだけ戦争責任を果たしたのかは分かりませんが、今の中国や韓国の繁栄ぶりを見れば、日本が中国や韓国に対してどれだけ貢献してきたか嫌でも分かるはず。
靖国神社の問題はあるものの、当時の軍国主義を進めた指導者は戦犯として刑を受け、サンフランシスコ講和会議で戦争責任は以降問わないと言うことになりました。
中国と韓国は国共対立や朝鮮戦争の為に呼ばれず、調印をしてはいません。
しかし、当時の戦争を体験した人が少なくなり、戦争すら知らない人すらいる今の日本に、まだ戦争責任を問おうとするのですか?

先の戦争に対する反省を忘れてはいけませんが、これ以上無益に近いことを言っても仕方がないことです。
むしろ関係を悪化させるだけ。

それよりも、これからを見据えての対話を重ねることが大切ではないでしょうか?

この考えに異を唱える人もいるでしょうが、考えなんてそれこそ人それぞれです。
よほど間違っているところがない限りはコメントは不要です。

ただ、このことだけはほぼ全ての人が言えるのではないでしょうか。

「戦争は決して起こしてはならない」

と。




2006-09-17(Sun) 14:06| 携帯| トラックバック 0| コメント 0

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